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営業日 
毎週月・金・土曜日
(特別展示の場合変更あり)

営業時間
10:00〜17:00

場所提供
(有)常陸財商

昭和のラジオ 店蔵内

常陸太田旧市内には店蔵や貯蔵蔵など10数個存在している。現在は手入れする人も無くただ放置され駆逐され処分を待つ蔵も散在する。これら貴重な太田市の財産を保存する手段はないかと、私たちグループは、考えております。
一つの解決策として、蔵の中身を発掘する「蔵考古学研究所」を組織・運営することを考えました。

私どもは資金的に大変困っております。私たちの趣旨に賛同してくださる方の強力なご援助を期待しております。

また、実動隊として、楽鯨員(がくげいいん)を募集します。
特に資格年齢を問いません。ただ常陸太田市在住で鯨が丘(常陸太田市)に愛着心をもち、蔵の発掘に興味を持ち、汗と埃にまみれてでも、常陸太田市(鯨が丘)の発展に寄与したい方であればどなたでも歓迎いたします。活動は月に1〜2回です。不祥事などは厳禁ですので、会員の身分は明らかにしていただきます。ただし無給です。
思わぬ発見したときには、何物にも換えがたい満足感を貴方に与えます。

学鯨員は、歴史を研究し、それをコーディネートし展示説明できる人。

楽鯨員は、サポーターのことで、調査の手伝いや展示の手伝い、考鯨庵の運営の手助けができて、楽しむことのできる人。

常陽芸文2005年9月号に紹介された。

街を知り、街をつくる拠点として

 旧常陸太田市の中心市街地は、南北に細長い台地の上に形成されている。その地形が鯨の背のように見えることから、当地は「鯨岡」と呼ばれ、棚倉街道の宿場として、また水戸藩有数の商業地として栄えてきた。
現在も古い土蔵造りの建物や蔵が点在するほか、地元商店街が「鯨ケ丘商店街」と称するなど、往時の面影が残っている。

 そんな由緒ある地名「鯨岡」の「鯨」の字を掲げたミニギャラリー
「考鯨庵・寓緒喜把」(こうげいあん・ぐうちょきぱー)は鯨ケ丘商店街内に今年七月八日にオープンしたばかり。企画展の開催や、貸しギャラリーとして一般開放なども行っていく予定だ。町の歴史を保存・伝承するだけでなく、新しい文化を創造していこうと、積極的な活動を進めている。

手づくりの、ぬくもりあるギャラリーを

 何と言っても目をひくのが同庵の名称である。「鯨岡の歴史を学び、それを生かして新しい街づくりを考えるという意味を込めて考鯨庵と名づけました。また寓緒喜把には当庵を訪れる皆さんと一緒に喜びを把める寓居になるように、との願いを込めています」 そう語るのは、同庵庵主の宇野好文さん。
常陸太田市で長年不動産・建築業を営む宇野さんは、仕事を通じて、市内に残る土蔵などに接する機会が多かった。これらの中には持ち主が土地を離れて放置状態にあったり、高齢のため保存ができない状況にあるものもあった。
蔵の中には、美術工芸品をはじめ古い教科書や写真など町の歴史を物語る資料も多く残されており、宇野さんは、このままではこれらの資料が散逸してしまうと強い危機感を抱いたという。そこで、これら資料を紹介できる場を作りたいと思い立ち、同庵の開設を志した。

 築八十年を越えると思われる建物を借り受け、内装を一つ一つ手直しした。天井には一本ずつよしずを張り付け、入り口には樹齢百二十年の梅の木の柱を配した。展示スペースと交流スペースはそれぞれ畳敷きにし、古い建物の雰囲気を生かした、温かみのあるギャラリーに生まれ変わった。

地場産業の歴史を知る

 同庵では現在、開庵企画展「常陸太田とたばこの歴史」を開催中である。明治から昭和初期ごろまで、常陸太田市周辺はたばこの一大産地で、当地で栽培されるたばこは「水府煙草」として全国にその名を知られる存在であった。
同展では、栽培風景の写真や水府煙草生産共同組合の資料などが展示されている。組合資料によると、昭和四年当時の組合員数は五五八二名とあり、当地のたばこ産業の隆盛振りがうかがえる。
同時期に使用されていたと思われる、たんすや蓄音機、火鉢などの生活用品も展示されており、往時の人々の暮らしを紡佛とさせる。

 また、昔懐かしいたばこのパッケージやポスターも展示されている。東京オリンピック開催記念で作られた特別パッケージの「ピース」や「リベレーション」「あやめ」「みのり」「敷島」など、今では目にする機会の少ないたばこがずらりと並ぶ。
とりわけ、明治百年を記念して昭和四十三年に作られた「ピース」は貴重なもの。愛好家が見学にきては何時間も眺めていくという。

集え!学鯨員

 同庵の活動に欠かせない蔵の存在。太田にこれほど蔵が多かったのはなぜなのだろうか。
「火事に備えてのことなのです。高台の狭い範囲に住宅が密集していると、火事になった時にもらい火しやすく、平地から消火の水も届きにくいため、他の地域以上に神経を使っていた。地形が育んだ文化ともいえるでしょう。歴史を知り、学ぶということは、こういった先人の知恵を学ぶことであり、それを現在の街づくりにも生かしていきたい」

 こう話すのは同庵主席学鯨員の山口茂樹さん。地元への強い思いから、あえて学芸員ではなく鯨岡の鯨の地をとって学鯨員を名乗る。

 ゆくゆくは同庵を拠点に、歴史や街づくりに興味のある人を学鯨員として募り、共に活動を活発化させていきたいという。歴史を保存するだけでなく、創造していく場として、同庵の存在が今後大きいものになっていくことが期待される。

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